ウィーンへ
019/071
ウィーンへ
スイスを発つ日が近づいてくると、多くの友人が送別会を開いてくれた。ステファンの実家で開いてくれた送別会はやはり一番思い出深いものとなった。チーズフォンデューにラクレット、ロスティ、ブラットブルスト、ゲシュネッツェルテス・・。
私の大好物ばかりを用意してくれた。チーズフォンデューはスイス料理として名高いが他の料理も皆スイスならではの名物だ。蒸したジャガイモに溶かしたチーズをかけて食べるラクレット。ジャガイモを細長く切りパリパリに焼いたロスティ。焼きたてのソーセージ、ブラットブルスト。仔牛肉のクリーム煮、ゲシュネッツェルテス。さしづめ日本流に言うと、焼肉とすき焼きとしゃぶしゃぶを同時に食べるようなもので、普通のスイス人は考えられないようなメニューだったがその気遣いが本当に嬉しかった。もちろん料理にも増してハンズ、マリレン、パトリック、サンドラ・・・。皆が集まってくれたのが最高に嬉しかった。
部屋の家具は友人達が見に来て欲しいものを買って持っていってくれた。友人達から無料で貰ったものを売るなんて私も最初は断ったが皆、聞かなかった。おそらく餞別のつもりだったのであろう。まだまだ長い修行になる事は皆、理解してくれていた。

ステファン実家近くにて

いよいよオーストリアに向かう日が来た。スイスに来た時のように製菓機材等、大きな物はすでに送ってあった。Ermatinger氏を初めスタッフに挨拶をして、駅に向かった。途中、いつも眺めていた時計屋の前を通った。シャッハウゼンには時計屋が多い。シャッハウゼンにはIWCという世界的に有名な時計メーカーがある。この時計は町の人全ての誇りでもあった。
私はその手作りの腕時計が大好きで毎日ショーウインドの中の時計を眺めていた。一見普通の時計である。華やかさも無ければ特別な機能が付いている訳でもない。しかし正確に孫の代まで時を刻んでいく。時計だから時を刻むのは当たり前である。しかしその当たり前の事を当たり前に愚直な程に続けていく。こんな時計を尊敬する。こんな菓子屋を目指したい。最後にもう一度その時計を眺めた。一番安いものでも20万円位はするその時計を買える訳がない。「自分自身、納得できるまでヨーロッパで勝負しよう。そして本当にその時がきたら、この時計を買って帰国しよう。」じっとIWCの時計を見て、決意した。今ではいつも左手に、そして仕事中は左ポケットで正確な時を刻んでいる。

シャッハウゼン近郊にて

シャッハウゼンを発ち列車は3時間程でスイスを離れオーストリアに入った。この辺りはチロルと呼ばれる山岳地方だ。11月のシャッハウゼンには雪が全く無かったが、辺り一面銀世界である。もうどれ位雪が積もっているのであろうか?線路の脇は1m位だが奥は2-3m位にも見える。インスブルック、ザルツブルグと聞き覚えのある町を通過していく。相変わらず雪は深い。リンツを通りウィーンに近づいてきた。流石に雪は少なくなってきた。やがて列車はウィーン西駅へと到着した。この駅は日本には無い行き止まりの駅となっていて、全ての列車が横一列に到着する。ここからさらに乗り換えて目的地であるBADENへと向かう。国は変われどオーストリアはドイツ語なので心強い。ウィーン南駅へ行きそこから急行列車に乗り20分程でBADENに着いた。ホームをでると直ぐ一人の男性が声をかけて来てくれた。彼がこの先一年半に亘るオーストリア生活で公私共々お世話になるManfred Schneider氏であった。

Sponsor