最後の晩餐1
068/071
最後の晩餐1
ヨーロッパで洋菓子の原点を基礎から学び直したい」という一念で29歳の時、渡欧した。期間については決めてはいなかったが「石の上にも三年」兎に角3年は居たいと漠然と思っていた。それがスイスを皮切りにヨーロッパでの生活は7年半に及んでいた。その間、コンクールでの優勝や三ツ星シェフ就任など、多くの方々の支えのお陰で想像していた以上に欧州生活は充実したものになった。無論まだまだ未熟で修行しなくてはいけない事は山ほどある。

リル川

しかし遮二無二に働いてきて山の頂とは決して言わないが一つの峠の頂には到達した感があった。更なる上を目指して見上げると今までは目の前の坂道しか見えなかったものが、急に視界が開け一つの目指すべき頂上が見えた。それは「日本」。ヨーロッパで菓子のみに関わらず文化や伝統にも感銘を受けた。又、出国する事によって日本の良さを改めて理解する事が出来た。そして何よりも大きかったのが感謝の気持ちを学んだ事であった。当初、私は全くドイツ語が話せ無く部屋を見つける事も銀行に口座を開設する事も、水道もガスも電気も引く事が出来なかった。スーパーで食べ物を日本で稼いだお金で何とか手に入れて生き延びるのが精一杯のような有様である。現地でお金を落とすだけなら幾ら働いても観光旅行もしくは留学である。現地でお金を頂いてそのお金で生活する。この生活するという事がプロの証である。それにはまだ私は赤ちゃんも同然であった。しかしそんな私に周りの方々は本当に親切にして下さった。その方々にとにかく感謝しそれに報いる為に全身全霊頑張った。これが私のヨーロッパでの7年半である。「感謝」の次に得たものが「自信」である。日本を含め13年半、色んなところでPatissierとして働いてきた。その中でただの一度もけつを割った事は無く何処も円満退社した。そして何処で働いてもその技術は通用した。これらの日本とヨーロッパで得たテクニックとエスプリ。そして学んだ「感謝の心」と掴んだ「自信」。それら自分の全てをかけて勝負に出る場所として選んだのはやはり日本であった。 私の持論にピラミッド論というのがある。盤石なピラミッドの高さは底辺の大きさによって決まる。私は焦る事なく今まで底辺を広げる為に横へ横へと広げていった。上に積み上げたく焦りかけた時期はあったが底辺を地道に広げる事が将来の高さにつながると自分に言い聞かせてきた。そして遂に上へと積み重ねる覚悟を決めた。最終勝負の地は、最も勝算の高い場所を選ぶのがセオリーであろう。自分の中で「帰国」という気分は皆無であった。「世界中で学んできた物を引っ提げて。勝負の地、日本へいざ出陣!」である。

日の出3部作-夜明け前

気が重かったが退職の旨を親父に伝えた。親父は黙って頷いた。私は親父に似ている。親父はおそらく「そろそろだろう」と勘づいていたに違い無かった。残りのBruneauでの三カ月はそれまで以上に仕事に没頭し同僚に仕事を引き継ぐ事に専念した。最後の日、夜のスタンバイを終えるとスーツに着替え、初めてBruneauの客席に着いた。定休日以外は休みが無かったので全く機会がなかったのだ。サロンでサービスする仲間は最高に格好よかった。皆、労いの言葉を掛けてくれ一時は毎日喧嘩をしたのが嘘のようだ。この日の為に2年半この店で働いていたといっても過言では無い。親父の作りだす料理を見ながら最初で最後のこのDinerに何を食べるか考えていた。本当に毎日、毎日。席に着くと直ぐに親父のスペシャリテであるアペリティフが運ばれて来た。生パイナップルジュースをシャンパンで割ったものだ。ふと厨房を見た。客席から親父の働く姿が少し見えるようになっているのだ。親父はいつもの厳しい表情でピアノ(コンロ)に向かっている。最後の料理が出終わる迄、親父は笑わない。さあいよいよ始まる私にとって最後の晩餐が。

Sponsor