年末
022/071
年末
ウィーンに入った年、ヨーロッパは50年ぶりの大寒波に襲われた。30年以上生きてきたがこんな寒さは味わった事がない。堪らず毛糸の帽子を被りマフラーを顔中に巻いて歩いた。吐いた息が直ぐマフラーに当たって凍ってしまう。冷蔵庫代わりに使っていた二重窓の外と内の狭間においた野菜やフルーツ、牛乳などもガチガチに凍った。あまりに寒さに庭の温度計を見に行くと真昼間にも関わらず-20度を振り切り計測不能!こんな寒さの中、オーストリアで初めてのサンタ・ニコラスの日がやって来た。
私も最初は戸惑った。サンタ・ニコラスの日は日本ではクリスマスとごちゃ混ぜになっているが12月6日、クリスマスとは別である。サンタ・ニコラスの日にはマジパンでたくさんの聖人を模した人形を作り店頭に並べた。サンタ・ニコラスとサンタクロースが仏教国の日本でごちゃ混ぜになっているからと言って恥ずかしがる事はない。実はヨーロッパでも少しごちゃごちゃになっている。
サンタ・ニコラスが終わるといよいよクリスマスが近づいてくる。クリスマスには日本で言うブッシュ・ド・ノエルやティー・ゲベックと呼ばれる焼き菓子の詰め合わせが飛ぶように売れた。この期間は流石に忙しく店で夕食も用意してくれたが精々10時には仕事が終わった。スタッフは皆、口々に「クリスマスは忙しいから大変だろ?」と日本から来たパテシィエを気遣ってくれたが日本でこの時期に10時で仕事が終わった経験は一度もなかった。この期間、スイスでもそうだったが仕事が楽しくて仕方がなかった。日本でアシスタントシェフに就いていた私にはお菓子を作る以前に仕事が山のようにあった。材料の手配、予約状況のチェック、仕事の段取りなど等。言葉の壁や環境の違いなど異国での辛さなど、一日中お菓子の事を考えていられる幸せに比べれば屁の河童である。
クリスマスイブの当日、仕事が終わるとマンフレッドが夕食に招待してくれた。何度かSchneiderファミリーとは食事を共にさせてもらっていたがこの時は心の底から嬉しかった。ヨーロッパではイブの夜に夕食に招待してもらうという事は家族同然に接してくれている証拠だ。オトマー氏は相変わらず寡黙であったが職場では見せない柔和な瞳で語りかけてくれ、マダムはいつもより増して優しく、マンフレッドは上機嫌ではしゃいでいた。スープを飲み、鳥を食べ、大いにワイングラスを傾けた。イブの夜を初めて家庭で過ごしその温かさに夜の更けるのも忘れた。
オーストリアで何と言っても印象深いのが新年である。世界中に配信されるニューイヤーコンサートはあまりに有名であるがコンサートだけではなくBALと呼ばれる舞踏会も開かれる。もちろん皆が舞踏会に参加する訳ではなく若者達は町のあちこちに設けられた大画面やスピーカーの周りでシャンパンやビール片手に新年の幕開けを待つ。ここまでは何処の国でも見られる風景だがここからがウィーンは違った。新年と同時に画面にニューイャーコンサートが映し出され、町中にヨハン・シュトラウスのウィンナーワルツが流れる。その瞬間、全員がペアとなってクルクルと踊りだすのである。ジーンズに革ジャン姿の兄ちゃん達がいきなりワルツを踊りだすのには驚くのと同時に感動した。ウィーンという町の歴史と民衆の造詣の深さに。この時「ワルツが踊りたい!」と心底感じた私は早速、見よう見まねで踊りだした。ところがたった5分程で目が回ってダウン。ウィンナー(ウィンー子)には程遠い。

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