2012年2月、カカオがすくすくと順調に育っていく最中、フランスより信じられないニュースが飛び込んできた。バイタリティの塊のようで最もパワフルで元気であったドゥベール氏が急逝したのだ。アフリカでマラリアにやられ故郷である南仏で他界したのである。 一年の三分の二はショコラ産地をまわり、ショコラの事を話し出すと止まらず、心からショコラを愛しておられたドゥベール氏。彼の功績は以前にも書いたので割愛させて頂くがYoroizuka Ecuador Cacao Farmはドゥベール氏の存在なくしては絶対に実現しなかった。
このプロジェクトもここで暗礁に乗り上げるかと思った。しかしドゥベール氏はこのプロジェクトの成功を息子ギー・ドゥベールに氏に全て託して下さっていた。 ギーと東京で最初に会った際に言ってくれた。「このプロジェクトを必ず成功に導くように父から強く言われました」 こうして「畑からのショコラ作り」の夢はドゥベール氏に変わりギーと共に歩む事となった。
即座に問題解決に動かねばならない。第一にどうやって輸入するかである。船で運ぶにはコンテナを借りて積み込まなければならないが500kgでは一台借りるには金額があわない。ちなみにコンテナの大きさとは約長さ6m幅2.5m高さ2.5m。最大積載量約22t。小型コンテナというのは存在しない。
そこでエクアドルから日本に便が出ている大手商社に混載のお願いを大胆にもしてみたが見事に断られた。海外旅行に行ってバッグに余裕があるからとって他人の荷物を容易に預かって帰国したりしては絶対にいけないのと同じ理論である。結局、割高にはなるが全て空輸にする事に決めた。 検疫の問題も先方がクリアしてくれる事で問題は無くなった。加工場所は一夜城にラボを作る事に決めた。同時に八幡山アトリエにあるショコラ工房も一夜城に移したかったが人の問題や電気容量などの問題でそちらはひとまずは断念するより仕方がなかった。方法としてはカカオ豆からショコラへは一夜城ラボで。完成したショコラはアトリエに運ばれ様々なショコラ商品へと加工していく事となった。 一つ一つ問題が解決されていく中でショコラ加工機械も富士珈機が着実に改良を重ねてくれていた。しかし私も何度も足を運ぶが行くたびに進展とまた新たに見つかる問題点に悩まされていた。
まず必要な機械はロースト、粉砕機2台、の三台。粉砕は熱殺菌前と熱殺菌後の物をわける必要性にぶつかり2台となった。その後必要となる機械は振るい、唐箕の機械の2台。こちらは富士珈機の紹介の別工場で作り、米を精製する機械を改造する事となった。日本の唐箕の技術は米用に揉まれて進化している。
着実に進めてはいるが不安が付きまとう。そんな中、遂に2013年12月の初収穫の日が決まりいよいよエクアドルに向けて出発する事となった。 |