「TOSHI」としてスイスに生まれ ー 。 | Vol.12

 スイスに戻り1週間後からシャッハウゼンから約25km離れた町、ウインタートゥーアにあるVollenweiderという菓子店で3ヶ月間だけ働く事になった。2ヶ月程前の私を受け入れるシェフ同士の約束がまだ守られていたのである。
まず私がしなければいけなかった事は、スイスでの家探し。ところが、私が帰国している間にステファンをはじめ、友人たちが何軒もの物件を見つけてくれていた。不動産屋や家主とのランデブーも決めていて、私はステファンと一緒にそれらの物件を見て回り、気に入った物件があれば決めるだけである。その中に最高の部屋があった。城壁に囲まれた旧市街の中心地にあり、店から歩いて5分、ライン川のお気に入りの場所から歩いて1分。1LDKでお洒落なレストランの2階。一つ難点は家具付きでないことだ。そんな私にステファンは「家具の事は何も心配する事がないよ。」とただニコニコしている。一目惚れした私はここに決めた。後の手続きは全てステファンとエルマティンガー氏がしてくれた。
 引っ越しのその日、両手と背負う位しかない荷物を持って入居した。「生活に必要な物は後で皆が届けるから。」とステファンから聞いていたのだが驚いた。後から後から夜まで続々と店の仲間が荷物を運び入れてくれる。テーブル、椅子、テレビ、ベッド、洋服タンス、CDデッキ…。電動泡立て器から観葉植物まで。食器などは「こんなにいらない。」と断ったくらいだ。ステファンがスタッフ全員に使っていない物があれば持ってくるよう頼んでくれたのである。それがスタッフからスタッフの家族、友人にまで広がって凄い量になってしまった。異国の地で貧乏暮らしを覚悟していた私は、本当に感謝感激である。
 1週間はアッという間に過ぎ去り、家も決まり、家財道具も想像以上に充実した私はいよいよVollenweiderに行く日を迎えた。Ermatingerが典型的な焼き菓子中心のスイス菓子の店なのに対して、Vollenweiderはムースの生菓子中心のフランス風の洗練された菓子店であった。どちらの店もショコラの充実度はさすがスイスと唸るほどであったが、この店でもう一つ充実していたもの、それはキッシュである。焼きたてのキッシュが特に昼の時間帯には飛ぶように売れていく。日本円で1個約800円のキッシュが毎日500個以上売れていく。アパレイユ(種生地)は甘いものと塩味のものと2種類だけだが中に入れる具によってバリエーションを出していた。甘いものの中にはプラム、リュバーブ、リンゴ、アプリコットなどフルーツを入れて焼き、塩味の方はほうれん草、玉ねぎ、長ネギ、サーモン、きのこ等である。
日本の様に具は色々混ぜないで、玉ねぎのキッシュなどは生の玉ねぎを細かく角切りにしてたっぷり入れ、生地を流して焼くだけである。ところが焼きたてを食べるとたまらなく旨い!この店ではスタッフが焼きあがった商品を食べても良い事になっていたので、私は周りの仲間が感心するほど毎日たらふく食べた。もちろんキッシュだけでなく、ケーキもとても美味しかった。特にこの店のケーキはシンプルな配合で素材の味を前面に強く出すやり方であった。その分、原価も高いがこの店の菓子の作り方は今の私のケーキに強く影響を与えている。この店でも右も左も全く分からない私にとても親切にしてくれた人がいた。その人の名はリサ。一見、男性かと見違えるほどボーイッシュでバリバリ仕事をこなす優秀なPatissierだが、実はとても繊細な優しい女性だった。