スイス、オーストリアとヨーロッパ菓子の基本をみっちりと学びフランスに来た理由の一つに最新のフランス菓子を学びたかった事と、もう一つはコンクールであった。日本のホテルでは通常の仕事が終わる23時頃から飴細工やチョコレート細工を深夜まで練習していたが、コンクールに挑戦したのはたった一度きりだった。パティシェになってようやく一年が経った頃、専門誌でコンクールの開催を知った私はまだ職人として右も左も解らない状態であったにも関わらず情熱だけが先走り、居ても立っていられずコンクールへの出場を決意した。決意はしたもののまずどうすればコンクールに出場できるのか分からない。
当日、参加者の中で飴細工に挑戦したのは私だけだった。自然と審査員の注目の的となったが見事に失敗した。飴細工に失敗したというよりも技術ばかりに固執してコンクールというものを理解していなかった。 ルールをかいつまんで説明すると自分の荷物を板重につめ廊下で待機する。開始五分前に会場への扉が開き一斉に自分の番号の書かれたテーブルで荷物をセッティングし、会場前に用意された材料を取りにいき計量しケーキ作りに入る。開場後5分でブザーがなりそこから40分後の終了ブザーがなるまでに所定の場所に仕上げて置かなければ失格である。私は廊下の扉の一番前で待機した。一刻も早くテーブルについて作業を始めたかった。顔が上気している。前々日徹夜になった為、前日にはゆっくり休むつもりが、やることが一杯出てきて結局二日続けての徹夜となった。会場の扉が開き一番に飛び込んでテーブルに着き、荷物を所定の場所にセッティングして会場前に走った。大きなテーブルに色んな材料が置かれている。何がどこにあるのか良く分からない。ここで思わず時間を食ってしまった。
結局、徹夜で練習した飴のエンジェルは日の目を見る事は無かった。結果は140人中66位。勝手に優勝を思い描いていた私にとって惨敗である。テーブルを間違えたのが敗因では無かった。敗因は日常の仕事にあるのは目に見えていた。上位に入った人達は淡々と仕事をこなしていた。コンクールだけ気負い込んでもメッキはすぐに剥がれてしまう。日常の整理整頓、掃除、一つ一つの基礎的な仕事、それの積み重ねがコンクールなんだと実感した。本当に悔しかった、自分自身に。 その後10年間修行に勤しんできた。パリでのリベンジに賭けて。 |